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母は手負いの虎だった1

IMG_7382.JPG

 

画像はスズメの卵です。

スズメは20gの体で、懸命にヒナを育てようとします。

野生の生き物は自然の育みを誰に教わらずとも、

子を敵から守り、自立に必要な知恵を授け、

その時が来たら突き放すかのように親は自ら離れていく。

 

そんな自然の育む姿は、時折、人間ではエラーを起こしてしまうようで。

感情と知恵が複雑なほどに成熟した生き物ならではなのかな、とも思います。

 

わたしの母はアル中でした。

 

すごい美人で成績優秀な母は16歳で半分ヤクザなような父に見初められ、

人身御供のように嫁にやられた人でした。

 

私立高校に通って将来の夢を見ていた少女は、いきなり自営業の長男に嫁ぎ。

そのなかでも、自分が耐えて頑張ればいつか夫は理解して愛してくれるのだろう、

と信じて姑姑の壮絶ないじめにも耐え、美しい手は荒れ放題に血が滲み、

眠る時間も少なく、体の弱いダメな嫁と言われながら、

一所懸命に(いつか愛されると信じて)働いたのでした。

 

父は略奪結婚のように迎えた母を大切にせず、

自分はすぐさま外に愛人を作って何かと家にいない人で。

 

まもなく。

 

母の父(わたしの祖父)は娘を嫁がせた会社に自分も勤めるようになり。

そこで大金を横領して会社を潰しかけました。

娘の嫁ぎ先の会社を。

 

女性として一番美しい時期に体も心もボロボロにして、

自営業の嫁ぎ先で人身御供のまま仕事に忙殺される母。

 

わたしがお腹に宿った時。

父は刑務所におりました。

 

「このまま産んで良いものか。おろそうか。。」

 

と迷った母の意識が不思議とオレンジ色の光とともにわたしにも残っています。

お腹の中のうちから記憶があるというのはどうやら本当のようです。

 

母は、子供を産めば夫が変わるのではないか?

子供ごと自分を大切に愛してくれるかもしれない。

 

そんな願いをこめてわたしを産みました。

ただし、望んでいた男の子ではありませんでしたが。

 

その5年後に弟が産まれました。

祖父祖母待望の後継です。

 

わたしが産まれても、弟が産まれても、

父は変わりませんでした。

祖父も祖母も変わりませんでした。

 

わたしが2歳の頃にはすでに母はアル中で。

呂律も回らないほど酩酊してわたしを罵る母が怖くて。

 

泣きながらおばあちゃん(母方)の家に電話をしようとすると、

「もし電話かけたら今ここで首を切って死んでやる」

と脅され受話器を置くことが続きました。

 

かわいそうな母を励まし、なんとかお酒をやめてもらって、

わたしを愛して欲しい、と幼いわたしは必死に母の味方であり続けました。

 

 

その頃のわたしには、

たとえわたしの人生の全てを捧げても母が幸せになるわけではない、

むしろ、悪化させることもある、

ということがわからなかったのです。

 

HALO 上松亜未

 

JUGEMテーマ:毒親

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